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モノカキブログ

日記兼更新記録。  最新更新分までのネタバレがあることはありますが、隠してありますので、どうぞご安心を。

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  • 04/25/23:57

いろんなもの書きたい

こんにちは。8話まで更新です。今回はあまり話が動かないのですが、次回からはちっとは核心に……!(笑)
そうそう、Crimson Crossってタイトルが長いじゃないですか。私、今までみんなが自分の小説を略すのがうらやましくてたまらなかったのです。だって七都とか、それ以上略しようがないし。
それでなんて略そうかななんてうきうき考えてたら、twitterで「くりくろ」といわれてしまいそのままくりくろに。栗黒。Crimsonって赤いはずなのに栗やら黒やら暗色になってしまったよ。
なんか、くりんとしてくろんとして、かわいい感じになってしまいましたが、くりくろだそうです。くりんくろん。

さてさて、息子の風邪は、いちどは治ったもののその後ぶり返したりもしつつ、今日はやっと学校に行きました。やっとひとりの時間が持てた……。
今週は二章を書きまくるつもりだったのですが、そんなわけでちっとも進みませんでした。のんびりやろう……。
でもちゃんとした時間を取って書くことができなかった代わりに、何故かくりくろ以外のネタが浮かんでしまい。いろいろ書きためてみたりしました。
くりくろは、二章以降は恋愛要素もかなり絡んでくるとはいえ、基本は私の趣味全開の女の子ふたりものになってしまっているので、もう次に書くのは、恋愛で始まり恋愛で終わるようなものでも書いてみようかとか。なんとなく、短編でも、ここ数年ダブルヒロイン(?)ものばかり書いていたので、そろそろシングルヒロインで三角関係とかそんなものを書きたくもなってきました。七都の続編、子ども世代の話を、中編くらいでちょっと書くつもりなのですが、それはそうなるかも。
ヒロインがひとりの物語は、いくつか私のお蔵にはあるのですが、どーしても女の子を書くのが好きなのでたくさん女の子を書いてしまうのよ……。
でもとりあえず、くりくろを全部書き終えてからですけどねー。私、ふたつの物語を同時進行はできないと思うので。

さーいっぱい書きたいものがあるぞー。うれしいな。
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敵は自分だった

こんばんは。本日分まで、戴いているメッセージ、メールの返信全部いたしました。
もし漏れている方、いらっしゃいましたらご一報下さい。

さてさて、今新作に取りかかっているのですが、書いていて思いました。
今の私の最大の敵は、「七都を書いた自分」のようです。

七都の読者さんはこれを受け入れてくれるか、とか、これは年齢制限入りそうだけどアンケート結果では年齢制限ものを期待してくださった方は50人に満たなかったけどどうしよう、とか、このキャラはこのタイプだけど、七都を書いたときはああいうキャラクターバランスにして、でも今回はこれちょっと違うな、七都はあのバランスで成功してたから、これをどういう対比で埋めよう、とか、なんか既に七都が自分の中の物差しになっていたりして。自分で自分に変な壁とか枠を作っている。
そういうくそくだらないどーでもいいことばかりを気にして、ブレーキをかけているようです。

正直、私今後七都より評価もらえるものが書けるとはあんまり思ってません。
七都だって、いただいた評価はそりゃもうささやかーなものでございますが、それでも私が想像していたよりもずっとずっとたくさんの人が読んでくれて、私はとてもうれしかったのです。今、心底満足しています。

で、やっぱり七都には、現時点の私の人生のすべてを詰め込みに詰め込んだから、まだこんなものを隠していたのよふふふ、って言うような類のものはもう一切存在しないのです。私の中身は今、すっからぽんぽん。

次はもっと短いものを書く予定だし(とは言っても長編ですが、七都ほどは長くない)、あんなに複雑に人間関係が絡み合う話じゃないし、どろどろだけど、愛と情熱を主軸にした、七都よりはある意味ずっとシンプルな物語。
だから七都とは違う。そうわかってるんだけど、どうしても、既に前作を壁にしてる私がいます。

自分にとっては七都を書き上げたことは大きかったけれど、他人様から見れば大したもの書いてないのに、それでも、ひとつ仕上げると、それが壁になり得るのかと、私の人間性の小ささを再確認した思いです。

それでも楽しいのは間違いなく。
今はこう、まだ練っている段階で、ちゃんと書き始めてもいないから、話もキャラもまだ遠いけれど、きっと書き始めたらもっとどんどん楽しくなってくるんだとも思っています。

オリジナリティというのは

今日、七都とか聖羅とか、七都の主要な登場人物たちが、みんなで、笑って手を振って、どこか遠くに去っていく夢を見ました。行かないで、と思ったのですけど、みんなにこにこ手を振って、箱庭のむこうに去っていったので、そういう日が来たんだなあと思いました。
胸がぎゅっと痛くなりましたが、あの人たちにはあの人たちの世界がある、私の番は終わり、もう手放さなきゃいけないんだー、ってわかりました。
目を醒まして、ああ、終わったんだなあ、としみじみ思いました。

物語の世界というものはほんとうにどこかにあって、私の描く物語は、そこから来て、終わったらそこに帰って行くのかも知れません。
そんなファンタジーなことを思いました。

昔、まだ二章辺りを書いていた頃、文章書きではないのですが、創作関係の方で知り合った友人に、七都を読んでもらいました。
友人は、七都という主人公は、れいなさんだからこそ書ける主人公。他の人には書けない。と言ってくれて、けれど私は、この話はそれほど奇抜な設定もないし、王道と言えば王道だし、主人公としてはステレオタイプにも思えるし、大してオリジナリティのあるものではないと、そのときは考えていたのですが、最後まで書き終えて、今は、私はこの物語は私にしか書けない物語だと、言うことができます。
それがオリジナリティというものなのだと思いました。
類型的な物語はいくつもあると思います。前述の通り、それほど奇抜な設定も目を引くような珍しいことも書いていませんから。
だけど、この物語が、ありふれた設定で描かれた物語だったとしても、他の誰もがそうは思わなかったとしても、この物語が、少なくとも私にとっては、オリジナリティあふれる物語だと私は思っています。
私は、自分の中を深く探り、自分の中から汲み取った言葉で、私の見た七都たちのものがたりを書きました。それは私以外の他の誰にもできないことです。
そして私はもちろん、私以外の他の誰の物語を汲み取ることもできません。
それが、みんなそれぞれ、自分だけの世界を持っているという幸福。
小説を読むというのは、そのお裾分けを戴いているようなもので。だから私は、物語を読むことが好きです。うまいへたにかかわらず、見知らぬ誰かの、その人にしか書けない物語を味わうことが、とても楽しいです。

昔、二次創作をしていたときに、盗作をされたことがありました。別のジャンルの二次創作の作品として、登場人物の名前だけ変えて、私の書いた小説が、ほぼそっくりそのまま盗用されていました。
今回、七都も盗作らしき被害に遭いました。私ではないどこかの誰かが、まったく別PNで、七都の連載をしていたのを発見しました。
意外にも、それほどに腹は立ちませんでした。
どうして腹が立たないのかと考えてわかったのですが、今まで書いて、発表した分の物語は盗めるかも知れない、だけど私がこれから書く私のものがたりを盗むことはできない。だから私は傷つかない。そう思いました。
私が自分の内側の深くまで潜り、そして掴んできた物語です。それは誰にとってもそうであるように、私にとっても容易なことではなかった。そのかわり他の誰にも盗めない。
まあお金が絡んでいないからと言うのも当然あるのですが。

そんなわけで、私は、私が書いてきた物語の登場人物を、それはもう深く愛してきたものだなあと、今書き終わって、つくづく思います。
この自己愛の強さ。恥ずかしいほどです(笑)

先日、ある勉強会に参加した際、自分の長所を述べよと言われましたので、私は自分がが自己中心的であるということが長所だと思うと答えました。
もちろん他人にとっては短所になる所だと思うのですが、自分が世界の真ん中に立って、自分の目で世界を見る、それが自己中心的な視点というものだと思いました。
そして自分を中心にしたら、自分の目で見て選択した、その責任は全部自分が取ることになる。誰のせいにもできない。脇役ではないとい選択をするというのはそういうこと。
作中にも書きましたが、幸せというのは自分があるということだと私は思っています。
七都という物語を書いて、私の内側に渦巻いていた世界を自分で外側に描き出して、確かに私というものがあったのだとはっきり認識をしました。それがどういう形をした、どういう力を持ったものなのか。何を願い、どこへ進みたいのか。

私は子どもの頃からというか、多分、生まれつきかなり自己中心的な性質を持っていたようなので(笑)子ども時代から思春期にかけては、他人との摩擦が多くありました。
自己中心的な人というものは、誰もが知っているとおり、他人にとっては大変に都合の悪いことが多いです。さまざまな不都合を引き起こす、とても迷惑な人です。誰もが、そんな迷惑な人はできれば自分に関わらないで欲しい、自分たちの輪の中に入らないで欲しいと思うのは、至極あたりまえのこと。
それゆえに傷ついたこともたくさんあったし、もしかしたら他の人と比べても、多少生きにい子ども時代を送ってきたのではないかという気がしています。
理解者がいないという孤独は、ある年齢に達するまで、いつもありました。

でもそのかわり、自分探しなんていうこととは無縁でいられた。自分はいつでも自分の真ん中にあったから。

表現活動というのは、外に向けて発信することでもありますが、本質的には、自分の内側を深く深く掘り下げて、自分の目にすべてを晒し、それを受け入れてなおかつ他人の目に晒すという作業のことのような気がします。
その作業に本気で取りかかれるか、その機会がないか、それは私にとっては、生きているという実感、則ち自分が幸福であるか否かという実感に深く関わっているようです。

世界は自分の外側にはなく、実はすべて自分の内側にあるのではないかと私は思っています。
だから自分の内側を掘り探っていくというのは、世界を探るということ、自分が人と繋がってゆく世界を知るということ。
私は私の目から見た世界以外のものと出会えることは一生ないでしょう。世界というものはすべての人間に共通して同じものだと私は考えない。
私が認知しうる現象のすべてが、私個人のものだと思っている。
私が赤だと思っているこの色は、他人にはまったく違う色に見えているのかも知れない。私にとっての赤が他人にとっては緑であるのかも知れない。私が知覚している現象が、他人にも同じように知覚されているのだと、はっきり証明することはできないわけで。

でも、誰かの考えを聞くとか、誰かの書いた小説を読むというのは、自分ではない誰かの目から見た世界に触れられるということ。
だからきっと物語って面白いのでしょうね。


七都という物語を書けてよかった。
たくさんの人に読んでもらえてうれしかった。
私は今、とても幸せだなあと思います。


創作というのは癒しなんだわ

たまには七都以外の更新。
掌編小説「愛しい色」です。「きらら」の数年後。
前にブログで載せた短編をちょっと手直ししただけのものなので、目新しさはないかも、ごめんなさい。
何てことないちっちゃい話なんですが、自分的には気に入っているのです。「きらら」も自作小説の中ではかなりお気に入りなのです。人様が読んでの作品としての出来がどうだかは知りませんが(笑)
多分この洋子の恋愛に対しての馬鹿さ不器用さ加減が、どうにも他人事とは思えないので気に入っているんだと思います。

最近いろいろと自分を振り返る機会があって、ふと気づいたんですが、やっぱり創作っていうものの基本は自分のための癒しなんですね。ずっと自分でも気づいていなかったんだけど。
キャラクターはみんな究極的には作者の分身で、登場人物がさまざまな問題にぶつかって乗り越えていく、その様を描き出すことで多分作者は自身を癒してるんでしょうね。
なかなか気づかなかったけど。そうなんだなあ。

なんて書いたところで力尽きましたので寝ます。ねむねむ……。
すみませんコメント返信はまた明日……ねむねむ…………。

十話更新

十話更新でーす。

そして今書いてる、五章はまたなんか長く……。