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モノカキブログ

日記兼更新記録。  最新更新分までのネタバレがあることはありますが、隠してありますので、どうぞご安心を。

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  • 04/20/10:20

小説世界

RSS、やっぱりよくわからないので、この日記を更新記録代わりにしようかと思いつきました。だって、日記にRSSついてるわけだし。
というわけで、七都トップのRSSは撤去して、次回更新分から、必ずこのブログに更新報告をすることにします。そーします。


さて、今、五章を書くに当たって、プロットをちゃんとまとめて直しているところなんですが、また入る予定がないところに出張ってきて思いっきり出番を奪った人が約二名。あの姉弟はもう……。

おかげでまた話が勝手に動いていってしまいました。でもこれが、プロットをきっちり作って書き始めて、その時点でかなり最初の骨組みとはまた違った形になってるっていうのに、文章にして書き始めたらさらにまだちゃんと脱線していくものか、と、四章を書き終わったあと、書き始める前に作ったプロットを見て驚いてしまいました。大まかな話の流れは全然変わっていないんだけど、途中がやっぱり、キャラが勝手に動いて膨らんで膨らんで膨らんでいくものなんだなあって。

四章も、初稿は110枚程度だったんですが、少し書き直したら倍になってしまって。
それはまさに、キャラクターの勝手な暴走の賜でした。書いている方は大変におもしろかったです。へえー、そうなの、そうなんだあ、って(笑)無責任に。
四章五章は聖羅の出番なかった筈なんだけどなー。乗っ取られた。この先まだまだ彼女は暴走します。


モノカキ指南サイトかなんかで、キャラが勝手に動いてしまうときにどうしますか、なんてアンケートのようなものを見たら、結構意見が分かれていました。
書いていてキャラが勝手に動き出したときに、ストーリーを壊すから脱線はさせない派の人と、それこそ望むところだとキャラをどんどん泳がせる派の人がいるようで。私は後者です。
みんなそれぞれ意見が違っておもしろい。
前者の意見に賛成の方の中には、それやると、話が収拾つかなくなるからやらない、と言っていた方もいましたが、私の場合意外とそうはならなくて。
どんなにキャラが暴走しても、ストーリー展開上、最低限おさえないと話が壊れる、ってポイントは必ず踏んでいってくれます。っていうか、脱線してるように見えても、ちゃんとキャラは常にそのポイントを目指してる、って感じかなあ。

私にとっては、小説って、どこか別の世界にある箱庭をのぞいて、その情景を一生懸命文章に直して書き写している感覚です。
書いているのは確かに私なんだけど、で、私が考えている筈なんだけど、でも小説の世界は作者が支配しきれるものじゃなくて、何か勝手に動き出すような気がしている。
あるシーンのある部分のキャラを、私の妄想目の前空間に召喚して、インタビューを試みることもあります。今どんな気分ですか、って(笑)
それをやると、不思議なことに、キャラクターの気持ちからヴィジュアルから空気やら風景まで、全部鮮明に私の目(心の?)に捉えられるので、あとはそれをどれだけ正確に、文章という形にするか、という問題になってきます。
小説を書くのなら、言葉で思考してはだめだと、私がずっと購読している村松恒平さんのメルマガに書いてあったんですが、なるほどなと思いました。
確かに、ヴィジュアルで視えていないと、言葉遊びみたいなものしか書けない。小説というものを書いてみたくて文章を書きました、というようなものになってしまう。

私も趣味で、いろんなオンライン小説を読んでいるわけですが、これって、普段はおもしろいものを書いている人にも言えることみたいで、自分の好きなように、がーっと書いてどんどん出してる状態の時はすっごいおもしろいものを書く作者さんの小説でも、コンテストに出しました、とか、これは○○に投稿したものです、という作品に限ってつまらないという方もよくいて、これはもしかしたら、「小説」としてまとめようとしすぎちゃったのかなって。
私も昔投稿していた頃、そういうことがあって、私は集英社のあの、無責任にいちばんいいとこだけ取ったらあとはもういらん、っていうスタンスが好きだったので(笑)、大体コバルトとか小説すばるとかそんなのがターゲットだったんですが、途中まで選考通って、その次に書いたものが、一次選考も通らず落ちた、多分その理由は、上手に小説というものを書こうとした結果、物語としては、根っこのない、全然つまらないもの書いたからだって、今だとよくわかる。
その作品は、先に映像があってそれを文章にしたわけじゃなかったなあって。
その小説、なんとなーく今もサイトに載せてますが、その作品に限っては、ほんっとに感想全然来ないもん。私も読み返さない。今思い立って開いてみたけど読む気にならなかった。きっとつまらないんだよ(笑)あとでこの小説はサイトから下ろそう。

ちなみに、私は今ほんとーに、もうできる限りの力で「七都」を一生懸命書いてるんですが、なんか、やっぱり本気でやると、自分の実力がどの程度のものかっていうのが、過不足なくよくわかるなあと思った。
できるだけ手抜きせず、自分も楽しく、一生懸命書いているし。
読んでくれる人の目に触れるように、宣伝もそれなりにしていると思う。手が回る分までだから、サーチにちゃんと登録して、更新したときはサーチも更新したりと、その程度ではあるけれど。

なので今読んでもらえてる分が、自分の実力だということがよくわかり、必要以上の卑下も、自分の才能への余計な期待もしなくなりました(笑)
私はもうそれほど若くないので、これってすごくいいことだなあと思っています。

今の自分の評価は、文章はまともに読み進めないほどにはひどくなく、好みが合う人には楽しんでもらえて、だけど万人に、楽しくてたまらない、いても立ってもいられないほど先が読みたい、って思ってもらえるほどの魅力は、私の作品にはない。
そんな感じかなあ、って思ってます。
で、なんか変な奇跡が起こらない限りその壁は越えられないと思う。文章が上手になることはあっても、小説の魅力はそこじゃないから。
たとれば直木賞を取る作家の頭の中は、きっと幼少時代から死ぬほどおもしろい妄想が広がってるんだよ。
それが才能の部分かなあって。

そうは思いつつも、ネット小説ですごくおもしろく、アクセス数も多いような作品を見ると、これと私の書いているものの差は何処に!と本気で考えてしまうことがある私です。そんな悪あがき。
だって、私だって、できればおもしろいものが書きたいもん。
と思いつつも、まあ七都の世界を私は誰よりも楽しんでいるので、趣味としてはそれでよしとします。とりあえず自分の萌えだけでも自分で捻出できれば、私はそれでかなりしあわせです。

だけど、できることなら、私の作品を読んでくださっている方に、できるだけ楽しんでもらえたらと、それは本気で思うのです。
みなさま、読んでくださっていつもありがとうございます、本当に。うれしいです。

書いたものをこうしてたくさんの人に読んでもらえて(一流のサイト様にはとても敵いませんが、それでも私にとっては、本当にたくさん、です)しかもランキングに投票してくれる人までいたりして。
少しは楽しんでもらえてるのかなあって。

だとしたら、ほんとーに、すっごくしあわせだなあ。



あー。日記書いたり巡回したりで時間も無駄になるしと、せっかくmixiやめたのに(退会はしてない)、こっちのブログに書きまくってるんじゃ同じじゃないかー。



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