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モノカキブログ

日記兼更新記録。  最新更新分までのネタバレがあることはありますが、隠してありますので、どうぞご安心を。

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  • 04/26/04:47

近況など

お久しぶりです、こんにちは。
通販発送いたしました。大変遅くなってすみません。
そしてメール便の仕様が変わったとかで、お手紙のひとつも入れることができませんでした;;
本だけ無愛想に入っています、お待たせしてしまったのにこんな無愛想な荷物でごめんなさい!
 
更新滞ってからの近況としては、学校のPTA活動に精を出したり、沖縄に半年ほど引っ越すことになったり、海で泳ぎまくっていたり、息子とマクロスFにはまってふたりで映画を見に行ったり(本来我が家の映画は夫担当)、友達と飲んだくれたりしております。
そして、暫く通販お休みさせていただきます。
というのも、沖縄に行くことになったのですが、半年で帰ってくるので、七都本の在庫は持っていけず……。今は引っ越し準備でばたばたしています。
 
最近めっきり更新もできておらず、サイトがお留守になっているのですが、書くことは書いておりまして、えーっと、このサイトに出すのとはまた別のものを書いていまして、虹で薄いアレを作って暮らしています、姫と妖精書いてます、ほんとすみません(笑)
もしそちらにも興味を持って頂けた方いらっしゃいましたらご一報下さいませ。
 

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ママ友達から回ってきた詩

創作とは全然関係ないのですが、ママ友達から紹介されて、思わず感動して泣いてしまった詩を紹介します。子育て中なものですから、こういうのに弱いのです(笑)



『抱きしめなさい 子を』 浜 文子

抱きしめなさい
子を
育児書を閉じ
子育てセミナーを欠席し

抱きしめなさい
子を
誰にも遠慮せず
あなたの子を
しっかりと
抱きしめなさい

抱きしめなさい
子を
母の膝が
子どもの愁いの
すべてを除く
その時代に

いつか母の膝は
子の悲しみに近づけない
日がやって来る
やがて母の手が
子の涙を拭いてやれない
日が訪れる

きっと来る その日
子が涙を拭う手に
柔らかな記憶の手が重なるように
痛む子の心が
温かな思い出の膝に包まれるように

母よ
抱きしめなさい
子を
もう何もしてやれない日のために
抱きしめる手が
子の未来に届くよう
幾度も 幾度も
抱きしめなさい

母たちよ
やがて別れる者として
あなたの子を
しっかり胸に
抱きなさい


初インフルエンザ

くりくろ、ずっと定期更新してきてたんですが、先週から息子がインフルエンザにかかっていて、看病してたら案の定私もインフルにやられました。
というわけで、ちょっと更新遅れます~。
もしも、もしも!(笑)待っていてくださってる人がいらっしゃいましたら、ほんとうにすみません……。

人生初インフルエンザでした。

宇宙の終わり

 こんにちは、皆様お元気でしょうか。
 私は暫く何にも書かない時期が続き、やっと少し書き始めました。そんなわけで近況報告も兼ねて日記……と思ったけど、あんまり近況でも何でもない日記かも知れません(笑)


 ここ半年ほど私宇宙ブームで、ついでに一昨日から、今度は宇宙の終わりブームがやってきてるんだけど、「宇宙の終わり」についてもいろんな説があるようです。
 有限であることは眼前の恐怖というような感じがあるけど、無限であることはもっとその先の深遠的な恐怖感がある。
 宇宙の終焉っていう、私の人生には絶対に関わってこないものを、ぞっとするほど恐ろしく思ったのは、私にとっての「無限」の否定だったんだと思う。
 宇宙って、私にとっては、「思いつく限りで、最も無限の時間を持っているもの」なんだろうと思う。それすら終わりがあるのかっていうのが、多分この恐怖感の根源だった。
 私はどこかで、輪廻転生とか魂の存在とかそういうものを信じてるんだと思います。それは、そのことが真実であるかどうかは関係なく、実はただの「無限や永続をを願う心」だと思うのね。それが、宇宙さえ終わるんだって現実と共に、無限の有限、或いは有限の絶対性を知ったような気がしたのかも。
 そういえば萩尾望都の「銀の三角」って、それがテーマだったのかな?昔読んだときはSFだとも思わずただ読んじゃって意味がわかってなかったんだけど。あれってよく考えたら、有限性と終焉の物語だよね。

 あと、モノカキ友達の梅原タロさんが、でもやっぱりその有限が天文学的有限でぼくらには無限の近似値としか思われないからちょっと安心して不安になれるあたりが宇宙の魅力なのかしらんって思ったり思わなかったり、と言ったのですが、私もそう思います。
 対岸の火事的な。安心して不安になれるもののことをロマンというのかしら。
 だって終末期の宇宙のことを思うと、胸がきゅんとする(笑)あと、有限ってなんて素晴らしいんだろうと思う。これが本心だ。

 宇宙って、身近な「無限性」の象徴だと思うんですけど、無限性がある限り、同じだけの大きさの「有限性」の象徴でもあるんだなと感じます。私もすごく、有限性を見せつけられてる気がして、怖い、と同時に安心するのです。
「絶対的な終焉への不安」への感情って、人間の根本にある何かを擽る、その絶対的な不安定さと太刀打ち不可能な完全に安定的な絶望感が、ロマンという感情そのものなのかも知れない、なんて思った。そんな話でした。

『小説書きさんを問い詰めるバトン』

というわけで、面白そうなバトンがあったので、もらってきました。


かなりラストの重要な部分のネタバレもしています。
未読の方で、ネタバレがいやな方は、リンクで隠した部分は読まないで下さい~!


『小説書きさんを問い詰めるバトン』

1:小説を書く際、資料などは使いますか? 何を使いますか? (例:wikipedia、書籍名、etc)

まずはネットです。ネットで大まかに調べて、大まかに調べたあとに興味が出てくると、広いネットの海へ、長い調べ物の旅に出ます(笑)
手軽と言うこともあって、本よりはネットが多いですが、図書館でカキモノしながら調べまくりという時期もありました。七都では、幕間のリディリーク編のとき、ずっと図書館に籠もって、資料を引っ張り出し出し書いてました。
あとは、私は実際に見られるものは、実物をできるだけ自分の目で見ておきたい派です。七都を書いてるときは、物語の舞台として使った場所、武器、城、その他小道具、いっぱい見に行きました。
見に行くと、直接見た知識を書いたりして使わなくても、すごく自分の内側に根付く感じがあります。書いたものって氷山の一角みたいなものだと思っているので、その、見えない大きなピラミッド部分を支えるものになる感じがします。

2:プロットやフローなどは用意しますか?用意するとしたら、どのように立てていますか?(例:メモ書き、StorYBook、etc)

プロットを作らずに物語を書くことは、私はまずないです。

浮かんだシーンごとに、メモ書きファイルを作って、いっぱい貯めてから書き始めます。長編の場合は、書き始める前に、断片メモを山ほど用意してからじゃないと書き始められないので、七都を書き始めたときは、メモファイルが百以上はありました。
フローチャートもそれなりに細かく最後まで作ります。
物語の構成、流れも、骨組みはほぼ作り上げてから書き始めます。
でも、フローで組んだ「骨」以外の「肉付き」の部分は、途中からキャラが勝手に動き出したこともあり、かなり膨らんで、出来上がってみたら思ってもみなかった形になってもいます。それがとても楽しかったです。


3:小説を、どこかに投稿したことはありますか?

昔、コバルトに投稿したことがあります。もう一歩の人でした。
その一歩は多分2000kmくらいあると思います。

4:あなたの小説(文章)が一番影響を受けている作家さんを一人挙げるとしたら、どなただと思いますか?

ひとり……は無理(笑)だからいっぱいあげる。
池上永一、新井素子、若木未生、松本零士、吉本ばなな、あとは内緒だ。

【これ以降は結構重要なネタバレしまくります】