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書ききれないという悔しさ
先日発覚したのですが、感想のメールが、フィッシング詐欺メールに間違われ、迷惑メールフィルタでごみ箱に振り落とされてしまっていたことがありました。
もしメールくださった方で、返事がないよ!ということがありましたら、コメント窓から教えて頂けたらうれしいです。
いただいた感想には必ずお返事することにしておりますので!
今日は大晦日ですね。
今年は、連載をはじめたばかりの「七都」におつきあいくださってありがとうございます。
まだ短いおつきあいではありますが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年企画として、繭さんが今お正月用七都絵を描いてくれてます。
どんなのができるのかわくわく。
さて。するする文章が書けるときがあります。
逆に、ストーリーは決まってるのに、なかなか筆が進まないときがあります。
先日書いたイタコ書きなんて、そのするするの最たるものです。
今までの経験だと、どちらかというとするする文章で書いたものの方が評判がよいようです。わからないでもないですが。
二次創作とオリジナルと合わせて、わたしは今まで、多分百本程度の小説を人目に晒してきたんじゃないかと思うのですが、そのうちの八~九割は短編でした。うち三割くらいはほんとうに短い、掌編ともいえるかどうかというもの。
「七都」のように長いものを書いたことは、過去にまだないのです。
短編だったら、するする進まないものなど書くのをやめて、もっとつるんと書けるものを書けばいいわけですが、これが長編だとそうも行きません。
するする行く場面と、行かない場面とがあります。
わたしは頭の中に浮かんだ場面を、自分が使いきれる言葉で文章にする、そういう書き方をしています。だから先にヴィジョンがあるわけです。
でも、頭の中に見えている映像が、わたしの筆力不足で描ききれないことがあります。そういうときに筆が止まるのです。
いつもそう。悔しい。難しいです。
こういうときに、もっと文章がうまくなりたいと願う。
もっと無駄なく、刃のように鋭く、いちばん美しい文章で、わたしの見ている世界が描き出せたらいいのになと思う。
わたしは今はプロの小説書きをめざしたりはしていませんが、それでも自分が書きたいものを書くために、プロフェッショナルな仕事をしている方の文章に匹敵するくらいの筆力が欲しいと思うのです。
先日、大変にためになる批評をいただいて思ったのですが、やっぱり自分の目では、自分の文章がどんなものかを測りきることは出来ないものだなと。
というか、わたしは今までただただ書きたいものをばーっと書き散らしてきただけで、何しろ建設的に自分の文章を掴めていないのだということを実感。
そして何をどうしたら、自分の文章が洗練されて、わたしの中にある世界を描き出す道具としてさらに優れたものになるのか、そのための道筋、階段を探せずにいる。
けれどその答えは、そこで立ち止まって見つかるものでは決してありえないので、書き続けるしかないわけですが。
何にしても、感想、批評というものはほんとうにほんとうにありがたいものだと、七都を書いてからとみにそう思います。
意外と、短編を書き散らしていた頃は、そういう意識がなかったのです。
感想をいただいても、わーいもらっちゃった、うれしいなー、くらいで。
七都を書き始めてから、読んでくださった方の良質のフィードバックが、作品に影響していくものなのだと初めて知りました。
特にキャラに萌えて下さったりすると顕著に(笑)
七都を書くまで、こんなに、感想をいただいたときにうれしいと思ったことはなかった。そして読みに来て下さった方の数を見て、これほどありがたいと感じたことも。
「七都」を読んで下さっているみなさま、ほんとうにありがとうございます。
しかし何にしても、上達したい、うまくなりたい、と願うものがあるというのはしあわせなことなのだなあと思います。
しかもそれを見て下さる方がいる。
わたしにとって小説を書くということは、人生の甘露です。神様ありがとう。
拍手レス>
30日4時の方:予告の場面に行くまでにはあともう少しかかるのですが、読んで頂けたらうれしいです。わくわくを裏切らないといいのですが!どうもありがとうございました。
今日のオンラインノベル
それなんてギャルゲ?
短編です。珍しくコメディ。読みながらげらげら笑いました。
ギャルゲーキングに選ばれた高校生、その賞品は「ギャルゲーの主人公体質」になれるというものだったのだけど、手違いでその賞品は姉のものに。一歩家を出たところから、山のようなギャルゲーのヒロイン達に襲われる姉。
最後のオチがご都合主義でちょっと物足りなくはあったのですが、それでもかなりおもしろかった。
失恋クエストも今読んでいるんだけど、これも相当おもしろい……。うう。おかしい。
もしメールくださった方で、返事がないよ!ということがありましたら、コメント窓から教えて頂けたらうれしいです。
いただいた感想には必ずお返事することにしておりますので!
今日は大晦日ですね。
今年は、連載をはじめたばかりの「七都」におつきあいくださってありがとうございます。
まだ短いおつきあいではありますが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年企画として、繭さんが今お正月用七都絵を描いてくれてます。
どんなのができるのかわくわく。
さて。するする文章が書けるときがあります。
逆に、ストーリーは決まってるのに、なかなか筆が進まないときがあります。
先日書いたイタコ書きなんて、そのするするの最たるものです。
今までの経験だと、どちらかというとするする文章で書いたものの方が評判がよいようです。わからないでもないですが。
二次創作とオリジナルと合わせて、わたしは今まで、多分百本程度の小説を人目に晒してきたんじゃないかと思うのですが、そのうちの八~九割は短編でした。うち三割くらいはほんとうに短い、掌編ともいえるかどうかというもの。
「七都」のように長いものを書いたことは、過去にまだないのです。
短編だったら、するする進まないものなど書くのをやめて、もっとつるんと書けるものを書けばいいわけですが、これが長編だとそうも行きません。
するする行く場面と、行かない場面とがあります。
わたしは頭の中に浮かんだ場面を、自分が使いきれる言葉で文章にする、そういう書き方をしています。だから先にヴィジョンがあるわけです。
でも、頭の中に見えている映像が、わたしの筆力不足で描ききれないことがあります。そういうときに筆が止まるのです。
いつもそう。悔しい。難しいです。
こういうときに、もっと文章がうまくなりたいと願う。
もっと無駄なく、刃のように鋭く、いちばん美しい文章で、わたしの見ている世界が描き出せたらいいのになと思う。
わたしは今はプロの小説書きをめざしたりはしていませんが、それでも自分が書きたいものを書くために、プロフェッショナルな仕事をしている方の文章に匹敵するくらいの筆力が欲しいと思うのです。
先日、大変にためになる批評をいただいて思ったのですが、やっぱり自分の目では、自分の文章がどんなものかを測りきることは出来ないものだなと。
というか、わたしは今までただただ書きたいものをばーっと書き散らしてきただけで、何しろ建設的に自分の文章を掴めていないのだということを実感。
そして何をどうしたら、自分の文章が洗練されて、わたしの中にある世界を描き出す道具としてさらに優れたものになるのか、そのための道筋、階段を探せずにいる。
けれどその答えは、そこで立ち止まって見つかるものでは決してありえないので、書き続けるしかないわけですが。
何にしても、感想、批評というものはほんとうにほんとうにありがたいものだと、七都を書いてからとみにそう思います。
意外と、短編を書き散らしていた頃は、そういう意識がなかったのです。
感想をいただいても、わーいもらっちゃった、うれしいなー、くらいで。
七都を書き始めてから、読んでくださった方の良質のフィードバックが、作品に影響していくものなのだと初めて知りました。
特にキャラに萌えて下さったりすると顕著に(笑)
七都を書くまで、こんなに、感想をいただいたときにうれしいと思ったことはなかった。そして読みに来て下さった方の数を見て、これほどありがたいと感じたことも。
「七都」を読んで下さっているみなさま、ほんとうにありがとうございます。
しかし何にしても、上達したい、うまくなりたい、と願うものがあるというのはしあわせなことなのだなあと思います。
しかもそれを見て下さる方がいる。
わたしにとって小説を書くということは、人生の甘露です。神様ありがとう。
拍手レス>
30日4時の方:予告の場面に行くまでにはあともう少しかかるのですが、読んで頂けたらうれしいです。わくわくを裏切らないといいのですが!どうもありがとうございました。
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それなんてギャルゲ?
短編です。珍しくコメディ。読みながらげらげら笑いました。
ギャルゲーキングに選ばれた高校生、その賞品は「ギャルゲーの主人公体質」になれるというものだったのだけど、手違いでその賞品は姉のものに。一歩家を出たところから、山のようなギャルゲーのヒロイン達に襲われる姉。
最後のオチがご都合主義でちょっと物足りなくはあったのですが、それでもかなりおもしろかった。
失恋クエストも今読んでいるんだけど、これも相当おもしろい……。うう。おかしい。
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