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七都の続きとか
七都を一通り書き終えて、なんだかほっとしているようなさみしいような、そんな気持ちだったんですが、次に書こうと思ってる話にも、少しずつ心が向いてきました。
かと思えば、七都終了後の話が、残50年後くらいまで何となく頭にはあったんですが、それがいきなりすごく明確に浮かんできたりして。
そうか、みんなそうなるのかー、と。
実はこの話の、ほんとうのハッピーエンドはどこかと考えると、本編終了後20年後くらいで終結するその場面なのか~とか、いろいろ考えておりました。
人の人生ってそういうことですね。この物語は、七都という人の、長い人生の中の、たった数年を切り取っただけのものですから……。
そんなわけで、本編終了後の七都たちの人生は、私の頭の中にはあるんですが、それは自己満足できっと頭の中にしまっておくことでしょう。
たとえ、読者さまに読んでもらえる場所に出せたとしても、それでももう、ほんとうに、自己満足にすぎないレベルのものしか書けないと思うので。
そう考えて、私も、いくら小説は自分の自己満足のために書くのが基本だと常々言っていても、やっぱり、人様の目に触れるところに出す以上、構成とかおもしろさとか読んで下さる方の心を楽しませるための工夫は、私なりにかなりしていたのだなあと思いました(笑)
七都の続きが頭にあっても、今連載してる「七都」と同じレベルの緊迫感と構成で書ける気はしませんので(といっても今だってたいしたことはないですけど)、書かないでしょう……。
やっぱり人様に見ていただく以上、面白いと思ってもらえる小説を書きたいと、思ってます……。
自分の満足のために小説を書く!って言い切ったあとにこんなことを言ってると、なんだか矛盾してるような気もしますが。でもやっぱりそうなんです。
私、小説を読んでくださった方が、おもしろかった!って言ってくれるのが、ほんとうにうれしいんです。
まあとにかく、今は取り敢えず書いた分を、見せられるくらいに整えなくては。
プリントアウトして今校正してますが、赤ペンで真っ赤です……。
目指せ、九月中に連載終了!
かと思えば、七都終了後の話が、残50年後くらいまで何となく頭にはあったんですが、それがいきなりすごく明確に浮かんできたりして。
そうか、みんなそうなるのかー、と。
実はこの話の、ほんとうのハッピーエンドはどこかと考えると、本編終了後20年後くらいで終結するその場面なのか~とか、いろいろ考えておりました。
人の人生ってそういうことですね。この物語は、七都という人の、長い人生の中の、たった数年を切り取っただけのものですから……。
そんなわけで、本編終了後の七都たちの人生は、私の頭の中にはあるんですが、それは自己満足できっと頭の中にしまっておくことでしょう。
たとえ、読者さまに読んでもらえる場所に出せたとしても、それでももう、ほんとうに、自己満足にすぎないレベルのものしか書けないと思うので。
そう考えて、私も、いくら小説は自分の自己満足のために書くのが基本だと常々言っていても、やっぱり、人様の目に触れるところに出す以上、構成とかおもしろさとか読んで下さる方の心を楽しませるための工夫は、私なりにかなりしていたのだなあと思いました(笑)
七都の続きが頭にあっても、今連載してる「七都」と同じレベルの緊迫感と構成で書ける気はしませんので(といっても今だってたいしたことはないですけど)、書かないでしょう……。
やっぱり人様に見ていただく以上、面白いと思ってもらえる小説を書きたいと、思ってます……。
自分の満足のために小説を書く!って言い切ったあとにこんなことを言ってると、なんだか矛盾してるような気もしますが。でもやっぱりそうなんです。
私、小説を読んでくださった方が、おもしろかった!って言ってくれるのが、ほんとうにうれしいんです。
まあとにかく、今は取り敢えず書いた分を、見せられるくらいに整えなくては。
プリントアウトして今校正してますが、赤ペンで真っ赤です……。
目指せ、九月中に連載終了!
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ひとまず終わったの
今、七都、最後まで書き上げました。
まだこれから手直しいっぱいしなきゃいけないのですが、だからまだ、完成はしていないんですが。
ひとまず、最後まで書き終わりました。
やっと最後まで辿り着いた。長かったなあ……。
概算で、約1650枚。
なんかさみしい。超さみしい。
わたしもしかして、ずっとこの物語と一緒に生きてきたんだろうか。
もう、何かを見て、これは七都に使える!と思っても、書くことはできないんだ。
ああ、せつない~。
どうしよう、七都を書くことをもう考えない日常っていうのが、想像できません。
いつまでも、書いていたかった。でも完結させたかった。
やっぱり、終わらせないと、人は前には進めないのです。
もうすぐ、卒業です。
直しが終わって、見せられる状態になったら、週一回とかいわず、がしがし更新していく予定です。
そして今日の更新は、少々お待ち下さい……。
もう頭が飛んじゃって、ちょっと今、作業ができそうもありません。
朝起きてからやります。多分。
まだこれから手直しいっぱいしなきゃいけないのですが、だからまだ、完成はしていないんですが。
ひとまず、最後まで書き終わりました。
やっと最後まで辿り着いた。長かったなあ……。
概算で、約1650枚。
なんかさみしい。超さみしい。
わたしもしかして、ずっとこの物語と一緒に生きてきたんだろうか。
もう、何かを見て、これは七都に使える!と思っても、書くことはできないんだ。
ああ、せつない~。
どうしよう、七都を書くことをもう考えない日常っていうのが、想像できません。
いつまでも、書いていたかった。でも完結させたかった。
やっぱり、終わらせないと、人は前には進めないのです。
もうすぐ、卒業です。
直しが終わって、見せられる状態になったら、週一回とかいわず、がしがし更新していく予定です。
そして今日の更新は、少々お待ち下さい……。
もう頭が飛んじゃって、ちょっと今、作業ができそうもありません。
朝起きてからやります。多分。
何を書いているかというと
なんかしょっちゅう同じようなことを書いている気がするのですが、何度もこんな内容ばかり書いていると言うことは、きっと私にとっての重要なテーマなのでしょう。
私も長いこと、趣味で小説など書いているわけですが、表現というのは、とにかく中に中に向いていくものだなあと感じます。
私は小説を本格的に書き始める前は音楽をやっていたのですけど、プロの音楽やを目指して日夜がんばっていた時期もありましたのですけど、その頃の私は若かったこともあって、私の音楽は、三分の二くらいは、確かに私の内側に向いていたけれど、三分の一くらいは外側に向いていた、しかも競争というところに。
どうやら私は基本的に競争が好きな性格をしているようです。
私が今小説を書いていて、うれしいなあ、楽しいなあ、と思うのは、その、外側、しかも競争に向いている部分が、あんまりないことです。
私は、小説を書いてるときは、内側に意識が向かいきってます。
表現っていうのは、自分の内側と向き合うことだと私は思います。だから、掘り進むように、ひたすら自分の奥に奥に潜っていく。その作業です。
どんどん掘り進んでったらこんなものがあった、もっと掘り進んでったらこんなものが、っていうように、芋づる式に出てきます。自分で書いたものを読んで、私は私の中にあった欲求を知ります。
私の書いたものは、隅の隅まで、私でできています。
それ以外のものはあんまり入っていません。特に私はそういう書き方をするのが好きです。
だから私が、小説を書くということに関して、今のような楽しみ方をしている限り、商業作家を目指すことはないでしょう。今の私の満足が、外に出して外からもらうよりも、自分の内側に向かうことのほうにあるからです。
私は、面白い作品を書く人の内側はきっと面白いと思うし、つまらない人が書くものはどんなにがんばったってつまらないと思っている。
私は別に、取り立てて面白すぎる人間ではないので、私なりのものしか書きませんが、そんな私でも日々、小説を書くために、いろんな経験とそれに付随する感情を味わい尽くすことを貪欲に求めてきたわけです。
でも私、今のこの感覚でずっと生きていくと、自分が死ぬ瞬間まで、「これで自分が死ぬってことがどんなことかわかった、書く引き出しが増えた!」なんて考えてそうだってことに、こないだ気づきました。死ぬ瞬間自分が考えるだろうことを想像してみたら、それだった。天国で書くんでしょうか。
ってなるとね。よく考えると、その、小説を書くために人生経験を積むぞ!っていうのは、鶏が先か卵が先かみたいな感じで。
大体が人生経験を積んだから何かを書きたくなるわけだし。
だけど、ちょっと冷静に考えたらメリットもないしこれはやらないよね、絶対リスクが大きいし、でもちょっと今まで自分が知らないことを知ることができるかも知れない、っていうようなことに頭から飛び込んじゃうようなこんな趣味は(絶対これは私の趣味だと思う)、ものを書いているから、っていう大義名分がなければ私だってそうそうやらない。
絶対これはありえないだろうと思ってる恋愛に、取り敢えず持ってるもの全部かなぐり捨ててとびこんでみるとか、そういうことはやっぱり、書いてなければやらなかった。
ひきだしがふえる、ひきだしがふえる、けけけ。と呪文のように唱えながら、この今の痛い思いは全部そのうちなんかに使える、身になる、だから痛いばっかりじゃないもん、もうけ~。なんて自分に言い聞かせながらほんとうに、しばらくは心に後遺症が残るくらい痛い目を見たりして。
でも、そんな状況からの回復も、またひきだしにたまっていく。そのコレクションが増えるのをみて私はぐふふと笑う。また書けるものが増えた……。
書きたい引き出しお化けです。
そして思ったんだけど、こうして引き出しの中に一所懸命ため込みつづけてきたものは、きっと私の人生すべてを自由に豊かにしています。
小説を書くという作業は、霧のようになってたゆたっているそれらを、再構築して形作って、色をつけて、私の目に見せているってことなんだと思う。
結局は、私の表現活動というものは、私の中に向けている。
そんなのただのマスターベーションじゃんと思われるかもしれません。でもだからなんだ。
人の一大事業は、まず自分を幸せにすること。他人を幸せにするのはそれからだと私は思います。
私がそう思ってるから、私の小説はそういう風に書かれている気がする。
「七都」って、まず七都がそばで支えてくれてる人の力を借りて(特にそのきっかけが、聖羅の、「わたしがそばにいるわ」だったのかも)自分が自立して幸福を得たところで、本質的に自分の面倒を自分で見ることができていない、あまりにも欠落の多い聖羅という人が、七都とそれから他の周囲の人たちからの愛情を確認して、自分の足で立って、幸福を確認する話なのかななんて思いました。
人という字は人と人が支え合って、なんて言いますけど。それはこういうことなんじゃないかなー。
そして結局は、他人の力だけで自分がしあわせになれることはないってことを書いてるわけです。
他人の優しさや愛情を確認しながら、自分の力で立つことでしか、幸福にはなれないってこと。それが私が三十余年生きてきて知った一番大事なことのうちのひとつだから、そういうことを書くことになってしまった。
私は私が書きたくないものは書きません。
私は書きたくて書きたくて仕方がない小説ばかりを書いています。
幸せです。
私も長いこと、趣味で小説など書いているわけですが、表現というのは、とにかく中に中に向いていくものだなあと感じます。
私は小説を本格的に書き始める前は音楽をやっていたのですけど、プロの音楽やを目指して日夜がんばっていた時期もありましたのですけど、その頃の私は若かったこともあって、私の音楽は、三分の二くらいは、確かに私の内側に向いていたけれど、三分の一くらいは外側に向いていた、しかも競争というところに。
どうやら私は基本的に競争が好きな性格をしているようです。
私が今小説を書いていて、うれしいなあ、楽しいなあ、と思うのは、その、外側、しかも競争に向いている部分が、あんまりないことです。
私は、小説を書いてるときは、内側に意識が向かいきってます。
表現っていうのは、自分の内側と向き合うことだと私は思います。だから、掘り進むように、ひたすら自分の奥に奥に潜っていく。その作業です。
どんどん掘り進んでったらこんなものがあった、もっと掘り進んでったらこんなものが、っていうように、芋づる式に出てきます。自分で書いたものを読んで、私は私の中にあった欲求を知ります。
私の書いたものは、隅の隅まで、私でできています。
それ以外のものはあんまり入っていません。特に私はそういう書き方をするのが好きです。
だから私が、小説を書くということに関して、今のような楽しみ方をしている限り、商業作家を目指すことはないでしょう。今の私の満足が、外に出して外からもらうよりも、自分の内側に向かうことのほうにあるからです。
私は、面白い作品を書く人の内側はきっと面白いと思うし、つまらない人が書くものはどんなにがんばったってつまらないと思っている。
私は別に、取り立てて面白すぎる人間ではないので、私なりのものしか書きませんが、そんな私でも日々、小説を書くために、いろんな経験とそれに付随する感情を味わい尽くすことを貪欲に求めてきたわけです。
でも私、今のこの感覚でずっと生きていくと、自分が死ぬ瞬間まで、「これで自分が死ぬってことがどんなことかわかった、書く引き出しが増えた!」なんて考えてそうだってことに、こないだ気づきました。死ぬ瞬間自分が考えるだろうことを想像してみたら、それだった。天国で書くんでしょうか。
ってなるとね。よく考えると、その、小説を書くために人生経験を積むぞ!っていうのは、鶏が先か卵が先かみたいな感じで。
大体が人生経験を積んだから何かを書きたくなるわけだし。
だけど、ちょっと冷静に考えたらメリットもないしこれはやらないよね、絶対リスクが大きいし、でもちょっと今まで自分が知らないことを知ることができるかも知れない、っていうようなことに頭から飛び込んじゃうようなこんな趣味は(絶対これは私の趣味だと思う)、ものを書いているから、っていう大義名分がなければ私だってそうそうやらない。
絶対これはありえないだろうと思ってる恋愛に、取り敢えず持ってるもの全部かなぐり捨ててとびこんでみるとか、そういうことはやっぱり、書いてなければやらなかった。
ひきだしがふえる、ひきだしがふえる、けけけ。と呪文のように唱えながら、この今の痛い思いは全部そのうちなんかに使える、身になる、だから痛いばっかりじゃないもん、もうけ~。なんて自分に言い聞かせながらほんとうに、しばらくは心に後遺症が残るくらい痛い目を見たりして。
でも、そんな状況からの回復も、またひきだしにたまっていく。そのコレクションが増えるのをみて私はぐふふと笑う。また書けるものが増えた……。
書きたい引き出しお化けです。
そして思ったんだけど、こうして引き出しの中に一所懸命ため込みつづけてきたものは、きっと私の人生すべてを自由に豊かにしています。
小説を書くという作業は、霧のようになってたゆたっているそれらを、再構築して形作って、色をつけて、私の目に見せているってことなんだと思う。
結局は、私の表現活動というものは、私の中に向けている。
そんなのただのマスターベーションじゃんと思われるかもしれません。でもだからなんだ。
人の一大事業は、まず自分を幸せにすること。他人を幸せにするのはそれからだと私は思います。
私がそう思ってるから、私の小説はそういう風に書かれている気がする。
「七都」って、まず七都がそばで支えてくれてる人の力を借りて(特にそのきっかけが、聖羅の、「わたしがそばにいるわ」だったのかも)自分が自立して幸福を得たところで、本質的に自分の面倒を自分で見ることができていない、あまりにも欠落の多い聖羅という人が、七都とそれから他の周囲の人たちからの愛情を確認して、自分の足で立って、幸福を確認する話なのかななんて思いました。
人という字は人と人が支え合って、なんて言いますけど。それはこういうことなんじゃないかなー。
そして結局は、他人の力だけで自分がしあわせになれることはないってことを書いてるわけです。
他人の優しさや愛情を確認しながら、自分の力で立つことでしか、幸福にはなれないってこと。それが私が三十余年生きてきて知った一番大事なことのうちのひとつだから、そういうことを書くことになってしまった。
私は私が書きたくないものは書きません。
私は書きたくて書きたくて仕方がない小説ばかりを書いています。
幸せです。
里帰り中です
だめだこりゃ
連載分があと一ヶ月分位しかないので、続きを書き切ってしまおうと、毎日、思うだけは思っているのですが、これがちっとも書けませんよ。
なんか私、書けるとき以外はいつも書けない書けない言ってるな。(……?)
こういう時でも、プロのモノカキさんは書かねばならないのでしょうねえ。すげーなー。私には無理でございます。何も頭にないのに書けません。違った、話は全部できてるのに書けません。
書く領域にアクセスできない感じです。ケーブルが抜けてるような。
でもなんかの七都の作業はしてたいわけです。
というわけで、ここんとこずっと、七都ケータイサイト作ってました。
今までも、携帯で見られるようにはしてありましたが、今度はほんとうに本物の、携帯サイトです(笑)
近々トップページのいちばん上にリンク貼ります。
今二章の連載をしています。何しろ、一ページが千文字までなので、小説を分割する作業に手間が掛かります。これ、今みたいに、なにもできな~い、って時にやっておかないと、ちょっと飽きが来たらできなくなる作業だな。
よかったらケータイ七都、見てみて下さい。ついでにランキングなどぽちっとしてもらえたらうれしいです。
あと、PCサイトではなんか載せ損なってしまった、簡単な舞台設定資料なんかも掲載してます。
で、携帯サイト作るに当たって、はじめの方の七都を久しぶりに読み返して、なんか感慨深いものがありました。七都こんなに子どもっぽかったのか。聖羅こんなだったのか。驚いた。勝手に成長したものです。
なんか私、書けるとき以外はいつも書けない書けない言ってるな。(……?)
こういう時でも、プロのモノカキさんは書かねばならないのでしょうねえ。すげーなー。私には無理でございます。何も頭にないのに書けません。違った、話は全部できてるのに書けません。
書く領域にアクセスできない感じです。ケーブルが抜けてるような。
でもなんかの七都の作業はしてたいわけです。
というわけで、ここんとこずっと、七都ケータイサイト作ってました。
今までも、携帯で見られるようにはしてありましたが、今度はほんとうに本物の、携帯サイトです(笑)
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今二章の連載をしています。何しろ、一ページが千文字までなので、小説を分割する作業に手間が掛かります。これ、今みたいに、なにもできな~い、って時にやっておかないと、ちょっと飽きが来たらできなくなる作業だな。
よかったらケータイ七都、見てみて下さい。ついでにランキングなどぽちっとしてもらえたらうれしいです。
あと、PCサイトではなんか載せ損なってしまった、簡単な舞台設定資料なんかも掲載してます。
で、携帯サイト作るに当たって、はじめの方の七都を久しぶりに読み返して、なんか感慨深いものがありました。七都こんなに子どもっぽかったのか。聖羅こんなだったのか。驚いた。勝手に成長したものです。