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モノカキブログ

日記兼更新記録。  最新更新分までのネタバレがあることはありますが、隠してありますので、どうぞご安心を。

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  • 05/05/10:33

矛盾だらけじゃ

みなさまこんにちは。
やっとちょっと進み始めました。楽しく書けてきています。

そして某サーチの先月分のランキングを見て、何で私おもしろい話が書けないんだろーなー、と、ちょっと落ち込んでみた今日でした(笑)
もーね。書くことに関してはちっとも余力などなく、今書いてるこれが私のいっぱいいっぱいです。
私は楽しく書けているので、それでいいと言えばいいんですが、普段はそれで満足してるんですが、やっぱりたまに思うわけです。どうして、私はすっごいおもしろい小説を書ける人に生まれつかなかったんだろうとかー!
一応自分なりに努力をした結果、書けるものがこの程度なので、これはもうかなり才能という部分にかかってくるものなんだなあと、まあ基本的には諦めているわけですけども、たまに、滅茶苦茶おもしろくてたまらない物語を書ける才能というものが、喉から手が出る程欲しくなったりします。それが本心です。
でもまあ基本的には、自分が書きたいものを、書きたいように表現できてはいるので、それで80%程度は満足です。それも本心です。
それでも、たまに、才能がないって苦しいなあ、と思ったりする私でした(笑)
趣味でやっててもそう思うんだから、プロになりたいと思って書いているひとや、既にプロになっている人で、同じように思う人は、きっと、大変なんだろうなあ~。

もっと、書いてる自分以外の人を、どきどきわくわくさせられるようなおもしろい話が、書きたいよー。
とりあえず、がんばって書こう。

と言いながらも、結局のところ、がんばって書く、より、自分が楽しむために好きなように書く、がいちばんに出てきてしまうところが(一応、それが100%ではない、つもりなんだけど)、私のひとつの限界点でもあるなと思いはするのでした。
だから矛盾したことを私は言ってるってことだ。
そうなると、願いはいつまでも回り続けて答えは出ない、と思いつつも、書いていて楽しくて仕方がないと思える瞬間が、私にとっての答えなんだろうなと思いました。

「七都」って物語を書くことができて、よかったなー。

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小説世界

RSS、やっぱりよくわからないので、この日記を更新記録代わりにしようかと思いつきました。だって、日記にRSSついてるわけだし。
というわけで、七都トップのRSSは撤去して、次回更新分から、必ずこのブログに更新報告をすることにします。そーします。


さて、今、五章を書くに当たって、プロットをちゃんとまとめて直しているところなんですが、また入る予定がないところに出張ってきて思いっきり出番を奪った人が約二名。あの姉弟はもう……。

おかげでまた話が勝手に動いていってしまいました。でもこれが、プロットをきっちり作って書き始めて、その時点でかなり最初の骨組みとはまた違った形になってるっていうのに、文章にして書き始めたらさらにまだちゃんと脱線していくものか、と、四章を書き終わったあと、書き始める前に作ったプロットを見て驚いてしまいました。大まかな話の流れは全然変わっていないんだけど、途中がやっぱり、キャラが勝手に動いて膨らんで膨らんで膨らんでいくものなんだなあって。

四章も、初稿は110枚程度だったんですが、少し書き直したら倍になってしまって。
それはまさに、キャラクターの勝手な暴走の賜でした。書いている方は大変におもしろかったです。へえー、そうなの、そうなんだあ、って(笑)無責任に。
四章五章は聖羅の出番なかった筈なんだけどなー。乗っ取られた。この先まだまだ彼女は暴走します。


モノカキ指南サイトかなんかで、キャラが勝手に動いてしまうときにどうしますか、なんてアンケートのようなものを見たら、結構意見が分かれていました。
書いていてキャラが勝手に動き出したときに、ストーリーを壊すから脱線はさせない派の人と、それこそ望むところだとキャラをどんどん泳がせる派の人がいるようで。私は後者です。
みんなそれぞれ意見が違っておもしろい。
前者の意見に賛成の方の中には、それやると、話が収拾つかなくなるからやらない、と言っていた方もいましたが、私の場合意外とそうはならなくて。
どんなにキャラが暴走しても、ストーリー展開上、最低限おさえないと話が壊れる、ってポイントは必ず踏んでいってくれます。っていうか、脱線してるように見えても、ちゃんとキャラは常にそのポイントを目指してる、って感じかなあ。

私にとっては、小説って、どこか別の世界にある箱庭をのぞいて、その情景を一生懸命文章に直して書き写している感覚です。
書いているのは確かに私なんだけど、で、私が考えている筈なんだけど、でも小説の世界は作者が支配しきれるものじゃなくて、何か勝手に動き出すような気がしている。
あるシーンのある部分のキャラを、私の妄想目の前空間に召喚して、インタビューを試みることもあります。今どんな気分ですか、って(笑)
それをやると、不思議なことに、キャラクターの気持ちからヴィジュアルから空気やら風景まで、全部鮮明に私の目(心の?)に捉えられるので、あとはそれをどれだけ正確に、文章という形にするか、という問題になってきます。
小説を書くのなら、言葉で思考してはだめだと、私がずっと購読している村松恒平さんのメルマガに書いてあったんですが、なるほどなと思いました。
確かに、ヴィジュアルで視えていないと、言葉遊びみたいなものしか書けない。小説というものを書いてみたくて文章を書きました、というようなものになってしまう。

私も趣味で、いろんなオンライン小説を読んでいるわけですが、これって、普段はおもしろいものを書いている人にも言えることみたいで、自分の好きなように、がーっと書いてどんどん出してる状態の時はすっごいおもしろいものを書く作者さんの小説でも、コンテストに出しました、とか、これは○○に投稿したものです、という作品に限ってつまらないという方もよくいて、これはもしかしたら、「小説」としてまとめようとしすぎちゃったのかなって。
私も昔投稿していた頃、そういうことがあって、私は集英社のあの、無責任にいちばんいいとこだけ取ったらあとはもういらん、っていうスタンスが好きだったので(笑)、大体コバルトとか小説すばるとかそんなのがターゲットだったんですが、途中まで選考通って、その次に書いたものが、一次選考も通らず落ちた、多分その理由は、上手に小説というものを書こうとした結果、物語としては、根っこのない、全然つまらないもの書いたからだって、今だとよくわかる。
その作品は、先に映像があってそれを文章にしたわけじゃなかったなあって。
その小説、なんとなーく今もサイトに載せてますが、その作品に限っては、ほんっとに感想全然来ないもん。私も読み返さない。今思い立って開いてみたけど読む気にならなかった。きっとつまらないんだよ(笑)あとでこの小説はサイトから下ろそう。

ちなみに、私は今ほんとーに、もうできる限りの力で「七都」を一生懸命書いてるんですが、なんか、やっぱり本気でやると、自分の実力がどの程度のものかっていうのが、過不足なくよくわかるなあと思った。
できるだけ手抜きせず、自分も楽しく、一生懸命書いているし。
読んでくれる人の目に触れるように、宣伝もそれなりにしていると思う。手が回る分までだから、サーチにちゃんと登録して、更新したときはサーチも更新したりと、その程度ではあるけれど。

なので今読んでもらえてる分が、自分の実力だということがよくわかり、必要以上の卑下も、自分の才能への余計な期待もしなくなりました(笑)
私はもうそれほど若くないので、これってすごくいいことだなあと思っています。

今の自分の評価は、文章はまともに読み進めないほどにはひどくなく、好みが合う人には楽しんでもらえて、だけど万人に、楽しくてたまらない、いても立ってもいられないほど先が読みたい、って思ってもらえるほどの魅力は、私の作品にはない。
そんな感じかなあ、って思ってます。
で、なんか変な奇跡が起こらない限りその壁は越えられないと思う。文章が上手になることはあっても、小説の魅力はそこじゃないから。
たとれば直木賞を取る作家の頭の中は、きっと幼少時代から死ぬほどおもしろい妄想が広がってるんだよ。
それが才能の部分かなあって。

そうは思いつつも、ネット小説ですごくおもしろく、アクセス数も多いような作品を見ると、これと私の書いているものの差は何処に!と本気で考えてしまうことがある私です。そんな悪あがき。
だって、私だって、できればおもしろいものが書きたいもん。
と思いつつも、まあ七都の世界を私は誰よりも楽しんでいるので、趣味としてはそれでよしとします。とりあえず自分の萌えだけでも自分で捻出できれば、私はそれでかなりしあわせです。

だけど、できることなら、私の作品を読んでくださっている方に、できるだけ楽しんでもらえたらと、それは本気で思うのです。
みなさま、読んでくださっていつもありがとうございます、本当に。うれしいです。

書いたものをこうしてたくさんの人に読んでもらえて(一流のサイト様にはとても敵いませんが、それでも私にとっては、本当にたくさん、です)しかもランキングに投票してくれる人までいたりして。
少しは楽しんでもらえてるのかなあって。

だとしたら、ほんとーに、すっごくしあわせだなあ。



あー。日記書いたり巡回したりで時間も無駄になるしと、せっかくmixiやめたのに(退会はしてない)、こっちのブログに書きまくってるんじゃ同じじゃないかー。



世界観

この話、多分完結までには1000枚越すかなと思うんです。今700超えてるから。そんなに長く引っぱる気は全然ないのですが。
で、うちの人気投票を見ていてふと思ったんだけど。1000枚越す話で主要登場人物7人か。脇役入れても全部で十人ちょっとでしょう。……少ないなあ(笑)

前に、モノカキともだちの流雲さんと話していて、あまりに対照的でおもしろいとおもったんですが。
私の書き方って箱庭的なんです。舞台はきっかり区切った狭い空間。その中に、少ない登場人物を放り込む。
さすがに七都は長編だから、他のものよりは多少舞台は広いけれど。それでも、この枚数の物語としてはすごく狭い、限定された場所で繰り広げられている話だと思う。だって殆ど、隣接してる第七都と第一都しか出てこない。たまーにこれまた第七都に隣接してる、第三都が出てくるくらいか。
私の話は、舞台の外側に世界は存在しないような感じ。多分地平線や水平線の先は滝(笑)そこで世界が終わっている。中世的世界観だなあ。
で、流雲さんは逆で、世界は何処までも広がっている。物語の舞台のその向こう側にもちゃんと世界は存在していて、外に向かっている。
流雲さんの書いている話の世界は多分丸い。世界をぐるりと一周すればもとの場所に戻ってくる。繋がっている。地球だ……。

これはもう本当に個性だなあと思いました。私の書く話、100枚以内の短編だと本当に三人くらいしか登場人物が出てこない。舞台も家と学校だけとか。
せまーい世界を書くのが好きなんですね。そしてそれ以上になると多分、手に負えないんだと思う。広い世界は私の手に余る。キャパシティ不足です。

そういう世界観で物語を書いてしまう原因として、ふと思い当たったんですが、私、日本全国何処にでも人が住んでいるっていうのが今ひとつ、ぴんと来ないんです。
なんとなく、駅の周りに人が住んでいる街があって、次の駅までの間は何もなく、イメージとしてはそれこそ人も住んでいない谷底で、また次の駅に着くとそこが街になっていて、そして駅を出るとまた人の住んでいない谷があって……って。どーしてもそういうイメージが。
だから私若い頃はすごく旅が好きでした。自分の目で、日本全国何処にもで人が住んでるってことを確かめたかったのかも。だから電車での旅は殆どしていません。自分の車か、自転車でした。
47都道府県、自分の車で全部回るのが夢だったんだけど。結局半分くらいまでしか果たせず、嫁に行ってしまいました。今もまだその野望は胸の中に燻っています。でも結婚するまでの間に、自分で運転して、青森←東京→岡山間はとりあえず大体制覇しました。あとは北海道と、中国、四国、九州地方です。いつかきっとー!

日本全国回れたら、もしかしたら私の書く世界も丸くなるかも知れない。
……いや、ならないな。


……七都書くために、チャットもミクシもきっぱりやめたのに(減らすのは無理で、きっぱりやめない限りずるずるいくらでもやるってことがわかった)今度はここでくだらない日記を書いていたら同じじゃないか。と思った私でした。
あー。

永遠の謎

2-9更新しました。

そしてなんとなく予告編?煌と七都です。
三章を読んだ直後に繭さんが描いてくれたので載せてみたり。
まだこのシーンは先ですがおつきあい頂けたらうれしいです。
あきなな1あきなな2



昔からよく言われるのですが、私の書いたものは、大概「女の子が強い」そして「男共の印象が薄い」です(笑)
私は女なので、多分男性の実像がわからないんだと思います。結局、女から見た男というのは、理想や先入観がレンズに混じり込んだ状態で見ざるを得ないので、よくわからないままなのです。
でも恋愛というものは、それがきっといいんだと思います。ものを書くのでなければ。
私の友達に数人同性愛者の女の子がいましたが、彼女達がすごいなあと思うのは、恋愛相手も同じ女だから恋の手練手管は知り尽くしているわけですよ、そこがすごくタイトで騙しようがない。その状態で恋愛というものをやっていけるということでした。
それを見て、homo=同じ、というその「同じ」部分がきついよなあ、と感じ、同性と恋の駆け引きは、私には無理かもしれないと思いました。

そう思うと、分かり合えない、っていうのは良くも悪くも永遠の男女のテーマなのだろうなあ。
それゆえに腹も立ち、それゆえに一つ屋根の下で、もともと他人であるふたりが暮らしていけるんだと。
そんなわけで、私にとって男性というのは永遠の謎生物なのです。
だったらもう少女まんが的類型の男性をベースに書くしかないと。そういうと頭を使ってキャラクターを構築しているように思われるかも知れませんが、そんなことは私にはできなくて、要するに、自分が「萌え!」な男子を描くということに尽きるわけです。
これが私が今まで書いてきたようなヤングアダルト系の小説だと、そこまで萌えな少女漫画的男子を描いても話としてまったくおもしろくなく、それゆえに、「七都」では、今までになく男性陣を書くのが楽しいです。

ちなみに、私が今まで書いた小説の中の男で会心の出来だと自分で思ったのが、「きらら」の彼です。
今まででいちばん実像の男性に近づけたと自分では思ったのですがさて如何に。


次回予告:2-10は間抜けな尚釉と聖羅のつっこみでお送りします。



やりなおし!

うーん。
今書いてる三章の後半部分、もしかしたら全書き直ししないとダメな気がしてきた。
なにかが緩い。鋭くない。
さっき、わたしがもう何年も愛読している、村松恒平さんのメルマガを読んでいたんだけど、それに、今わたしが知りたいことの答えを見つけるための手がかりが書いてあった。
「テーマとは何を書くか何を書かないかの基準である」
と。前にもその一文は読んだことがあって、頭のどこかに入れてはいたんだけど、自分の書いた文章を読んで、どうにもならない螺子の弛んだような緩さを感じていて、それがどうしていいのかわからずにいた、そんな今ちょうど目に入ってきたっていうことには意味があると思った。
わたしは偶然というものの存在を信じていないのです。偶然と言われているもののすべてが必然だと思っています。

今回第三章の後半部分を書くに当たって、なかなか筆がつるつるとすべらずに、なんかどうしていいのかわからなくなって、漫然とその場面にあったことすべてを書いてしまったのだけど、文章を書くということは実は切っていく作業でもあるわけです。
頭の中にある世界を全部書き出せばいいというものではなく、このブログを見るとわかると思うのですが、わたしは無駄に長い文章を書く傾向にあるので、何しろ削っていく作業が重要なのです。
それをしていなかったことに気がついた。それゆえに文章が弛む。
へたくそであればあるだけ、目が正確でなければないだけ、文章は無駄に長くなります。
そしてそんなふうに長くなった文章など、誰も読みたくないのです。

今書いているのは第三章の清書だと思っていたけど、突然下書きに落ちた(笑)
でも人目に晒す前に気付けてよかった。



そんなわけで今日のご紹介はオンラインノベルではありませんが

[プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール
これは読んで絶対に損がない!とわたしが思っているものです。もちろんすべての人にとってそうであるとは限らないわけですが。
文章の上達だけではなく、書かれていることは人生すべてに関わる哲学です。
或いは、ある類の人にとっては人生が変わるようなものなのかも知れません。わたしにとってはそういうものではなかったのでわからないのですが、でもそんな気がする。