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日常。授業料7000円
今日は自慢のゴールド免許にお別れを告げる出来事が起きました。
幼稚園のママ友達の家でマヤ暦を教えてもらって(変にディープなのは期にしない)、そのあとちょっと調子が悪かったので病院へ。その帰りでした。
こんな時間に昼寝しちゃうと夜寝ないから、そして車の中だと子どもってこてんと寝てしまうので、息子を寝かすまいと、一生懸命しりとりしていた私、一時停止の標識を見てなかったらしい。はじめて通る道だったから。
りす!すいか!とかやってたらパトカーが追っかけてくるからさ。仕方なく止まったよ、スピード違反!?とか思って。
そしたら、一時停止違反じゃった。
おまわりさん「せめて徐行くらいはして下さいよ……」「スミマセン……」返すことばなし。
そんなわけでさよなら七千円。さよならゴールド免許。
まあね、私も、実は一時停止を見逃す癖は確かにあって。
だから事故とか起こす前に、こーやってつかまって気合い入れ直されてよかったのかも知れない。
そう思えば7000円の授業料は別に高くないよな……。
ほんと、気をつけよう。これから。ちょっといろいろ、自分の運転に関して見直す機会になった。
ああ、今期でやっと手に入れた、自慢のゴールド免許。さよーなら。
幼稚園のママ友達の家でマヤ暦を教えてもらって(変にディープなのは期にしない)、そのあとちょっと調子が悪かったので病院へ。その帰りでした。
こんな時間に昼寝しちゃうと夜寝ないから、そして車の中だと子どもってこてんと寝てしまうので、息子を寝かすまいと、一生懸命しりとりしていた私、一時停止の標識を見てなかったらしい。はじめて通る道だったから。
りす!すいか!とかやってたらパトカーが追っかけてくるからさ。仕方なく止まったよ、スピード違反!?とか思って。
そしたら、一時停止違反じゃった。
おまわりさん「せめて徐行くらいはして下さいよ……」「スミマセン……」返すことばなし。
そんなわけでさよなら七千円。さよならゴールド免許。
まあね、私も、実は一時停止を見逃す癖は確かにあって。
だから事故とか起こす前に、こーやってつかまって気合い入れ直されてよかったのかも知れない。
そう思えば7000円の授業料は別に高くないよな……。
ほんと、気をつけよう。これから。ちょっといろいろ、自分の運転に関して見直す機会になった。
ああ、今期でやっと手に入れた、自慢のゴールド免許。さよーなら。
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カラーセラピーうけたのよ
今日はなんとなくつれづれと、ささやか~な日常のお話。
先日、ちょっとした決断をして、私はそのことでかなり頭がいっぱいでした。
けれどその決断をしたことで、やっと理解したのでした。
混乱の元凶と、辛いと思っていた出来事を、客観視してなかったんだって。
でもそれだけいっぱいいっぱいだったってことでしょう。
ずぼっと穴に落ちてしまったときの私の這い上がり方は、振り子的です。プラスの方にふれて、同じ分マイナスにふれつつ、少しずつ、真ん中に戻っていく。けど元が極端に大きくふれるもんだから、なかなか真ん中には戻らず、そのあいだ自分がやってることときたらもう。
ちょっと正気に返って、客観的に自分のやってきたことを見てみると、もうあんまりにも無様で、恥ずかしくて、関係者の記憶をすべて消してしまいたいです。
それこそもう、愛も憎も好きも嫌いもあったこともなかったことも、全部まとめて消しちゃいたい(笑)
だけどまあ、やっと少し落ち着いたのか、それでもやっぱり、こんなことが私の人生に起きたって事が、何もなかったよりもずっといいって思えるようになりました。
結局いつかは、まあどんな大変だったことも、そう思えるようになるんだよね。そこまで時間がかかるけど。
今、自分がやっている仕事に関連して、毎月一回、カラーセラピーを受ける機会があるんですが、これが結構おもしろくて。継続して毎月やってると、自分の状態がどう変わっていっているかがよくわかります。驚く程に。
で、大概私が出す色って、割と決まっているんだけど、今日ははじめて、黒という色が出てしまって、自分でもびっくり。
このセラピーでの、黒という色の意味は、無言の自己主張、自分の心の中で思っていることを出さない、または出せなかった。そういう意味で、ああ、確かにそうだったなあと私は思いました。
自己主張、ではなくて、無言のまま、理解して欲しいととても願った相手には結局ちゃんと何も言えないまま、それでも、私のことを見て理解して欲しい、わかって欲しい、心配して欲しい、気に掛けていて欲しい、そんなふうに思っていました。そしてそれは叶いませんでした。あたりまえだよね。要求することを、怖がってしなかったんだもん。
私はそう望んでるんだって事を、言えればよかったのにね。
それを受け入れてもらえるかもらえないかは別として。
でもまあそんなわけで、カラーセラピーというものにたすけられて、見えなかった(または見ずに済ませたかった)ひとつの答えが、見えたような気がして、少し落ち着きました。
「色」ってなかなか深い。おもしろいなあ。
先日、ちょっとした決断をして、私はそのことでかなり頭がいっぱいでした。
けれどその決断をしたことで、やっと理解したのでした。
混乱の元凶と、辛いと思っていた出来事を、客観視してなかったんだって。
でもそれだけいっぱいいっぱいだったってことでしょう。
ずぼっと穴に落ちてしまったときの私の這い上がり方は、振り子的です。プラスの方にふれて、同じ分マイナスにふれつつ、少しずつ、真ん中に戻っていく。けど元が極端に大きくふれるもんだから、なかなか真ん中には戻らず、そのあいだ自分がやってることときたらもう。
ちょっと正気に返って、客観的に自分のやってきたことを見てみると、もうあんまりにも無様で、恥ずかしくて、関係者の記憶をすべて消してしまいたいです。
それこそもう、愛も憎も好きも嫌いもあったこともなかったことも、全部まとめて消しちゃいたい(笑)
だけどまあ、やっと少し落ち着いたのか、それでもやっぱり、こんなことが私の人生に起きたって事が、何もなかったよりもずっといいって思えるようになりました。
結局いつかは、まあどんな大変だったことも、そう思えるようになるんだよね。そこまで時間がかかるけど。
今、自分がやっている仕事に関連して、毎月一回、カラーセラピーを受ける機会があるんですが、これが結構おもしろくて。継続して毎月やってると、自分の状態がどう変わっていっているかがよくわかります。驚く程に。
で、大概私が出す色って、割と決まっているんだけど、今日ははじめて、黒という色が出てしまって、自分でもびっくり。
このセラピーでの、黒という色の意味は、無言の自己主張、自分の心の中で思っていることを出さない、または出せなかった。そういう意味で、ああ、確かにそうだったなあと私は思いました。
自己主張、ではなくて、無言のまま、理解して欲しいととても願った相手には結局ちゃんと何も言えないまま、それでも、私のことを見て理解して欲しい、わかって欲しい、心配して欲しい、気に掛けていて欲しい、そんなふうに思っていました。そしてそれは叶いませんでした。あたりまえだよね。要求することを、怖がってしなかったんだもん。
私はそう望んでるんだって事を、言えればよかったのにね。
それを受け入れてもらえるかもらえないかは別として。
でもまあそんなわけで、カラーセラピーというものにたすけられて、見えなかった(または見ずに済ませたかった)ひとつの答えが、見えたような気がして、少し落ち着きました。
「色」ってなかなか深い。おもしろいなあ。
小説を書くこと、その原点
少女小説家の氷室冴子さんが死去されたそうです。
51歳だって、それは早過ぎやしませんか……。
私は、昔から、少女向けジュヴナイルが書きたいとずっと思いながら、小説を書いていました。
それは多分私が思春期の時に、ものすごくたくさん読んでとても影響を受けたのが、当時のコバルト文庫あたりだったからだと思うのです。
氷室冴子、新井素子、久美沙織を筆頭に、あの当時のコバルトは、本当に素晴らしいエンターテイメント作家の宝庫でした。私、最高で、一ヶ月にコバルト文庫だけで80冊読んだことあります(笑)
私はその小説を読んで、とても楽しんで、ヒロイン達に勇気と力をもらい、こんな恋にあこがれて、そしてそのうち自分も恋愛をし、心にたくさんの栄養をもらったので、いつか誰かに、そんなふうに受け取ってもらえるような小説を書きたくて、自己満足のためだけではない、人に読んでもらうための小説を書き始めました。それは、かつて私が抱いた、プロの小説家になりたいという夢の原点でした。
今ではアマチュア作家でも、ネットという小説の発表の場を持てるようになり、しかもちゃんと書けばそれなりに読んでくれる人がいることもわかったので、それだったら、いくらでも好きなものを好きなように書けるアマチュア作家でいられる方がいいという結論に私は達してしまい、そして大人になって現実というものがわかって、作家業というのはまず金にならないこと(笑)浅田次郎氏が書いていましたが、あれだけのベストセラー作家も、鉄道屋が映画化されるまでは、三ヶ月かけて一冊の本を書いて、印税が60万だったとか聞いて、人気のある作家でさえそれですから、作家というのはまず食えないものだなと私も何となくわかってきました。
なのでまあ、プロになりたい!と思えるメリットが、それほど私には見えなくなってしまい、それでも書店に並ぶような本を出版できることで、ひとりでも多くの人に自分の書いたものが見てもらえる(かもしれない)というメリットと、自分が好きなように好きなことを書ける、というメリットとを天秤にかけ、そして自分の才能と実力を冷静に見た結果(←これ重要。笑)、投稿とかもやめてしまったのですが。
そしてまあ、プロになってベストセラー作品を書ける才能がある人は、オンラインで小説を発表していても、ネット内でベストセラーをとばせるだろうと思った。
そして私には、そこまでの才能がないことはわかっていた。私と同年代の人はもうだいたい同じだと思いますが、もういい年なので、自分がどれくらいの能力を持っているかは、かなりの線でわかります。つまらんことながら。
だから、今プロになりたいとがんばっている人を、すごく応援したくなります。
その夢が叶いますようにと祈ります。心から。
その、若い人の、夢に向かうエネルギーに触れるだけで、こちらの心にも何か素敵なものが生まれてくる。
がんばっている人を応援したくなる心って、そういう気持ちを持つ機会をもらえた方もしあわせになれる。ありがとう。
そして話は戻りますが。
職業小説家を目指す、目指さないにかかわらず、私の夢は最初に小説家になりたいと思ったときとまったく変わっていなくて。
私がたくさんの楽しい小説を読んで、素直に深く受け取れたそのときの年齢の人たちに、夢と希望がたくさん詰まった、楽しくて、そして素敵な衝動を呼び起こすような、そういうエネルギーを、作品を通して伝えられたらいいなということ。
それはかつて私が受け取ったものだから、私も同じものを、誰かに返すことができたらどんなにしあわせだろうということ。
そーいう思いで、私は今も小説を書いているんだなあと思う。
氷室さんの小説はたくさんたくさん読みました。
ジャパネスクの瑠璃姫が大好きだった。クララ白書を読んで、あんな女子校生活にあこがれた~。
その他にも、たくさんの極上のエンターテイメントを読ませてくれた。
きっとこの年齢で天国へ旅立つということは、この世でするべきことをすべて終えられたということなのでしょう。
ありがとうございました。
51歳だって、それは早過ぎやしませんか……。
私は、昔から、少女向けジュヴナイルが書きたいとずっと思いながら、小説を書いていました。
それは多分私が思春期の時に、ものすごくたくさん読んでとても影響を受けたのが、当時のコバルト文庫あたりだったからだと思うのです。
氷室冴子、新井素子、久美沙織を筆頭に、あの当時のコバルトは、本当に素晴らしいエンターテイメント作家の宝庫でした。私、最高で、一ヶ月にコバルト文庫だけで80冊読んだことあります(笑)
私はその小説を読んで、とても楽しんで、ヒロイン達に勇気と力をもらい、こんな恋にあこがれて、そしてそのうち自分も恋愛をし、心にたくさんの栄養をもらったので、いつか誰かに、そんなふうに受け取ってもらえるような小説を書きたくて、自己満足のためだけではない、人に読んでもらうための小説を書き始めました。それは、かつて私が抱いた、プロの小説家になりたいという夢の原点でした。
今ではアマチュア作家でも、ネットという小説の発表の場を持てるようになり、しかもちゃんと書けばそれなりに読んでくれる人がいることもわかったので、それだったら、いくらでも好きなものを好きなように書けるアマチュア作家でいられる方がいいという結論に私は達してしまい、そして大人になって現実というものがわかって、作家業というのはまず金にならないこと(笑)浅田次郎氏が書いていましたが、あれだけのベストセラー作家も、鉄道屋が映画化されるまでは、三ヶ月かけて一冊の本を書いて、印税が60万だったとか聞いて、人気のある作家でさえそれですから、作家というのはまず食えないものだなと私も何となくわかってきました。
なのでまあ、プロになりたい!と思えるメリットが、それほど私には見えなくなってしまい、それでも書店に並ぶような本を出版できることで、ひとりでも多くの人に自分の書いたものが見てもらえる(かもしれない)というメリットと、自分が好きなように好きなことを書ける、というメリットとを天秤にかけ、そして自分の才能と実力を冷静に見た結果(←これ重要。笑)、投稿とかもやめてしまったのですが。
そしてまあ、プロになってベストセラー作品を書ける才能がある人は、オンラインで小説を発表していても、ネット内でベストセラーをとばせるだろうと思った。
そして私には、そこまでの才能がないことはわかっていた。私と同年代の人はもうだいたい同じだと思いますが、もういい年なので、自分がどれくらいの能力を持っているかは、かなりの線でわかります。つまらんことながら。
だから、今プロになりたいとがんばっている人を、すごく応援したくなります。
その夢が叶いますようにと祈ります。心から。
その、若い人の、夢に向かうエネルギーに触れるだけで、こちらの心にも何か素敵なものが生まれてくる。
がんばっている人を応援したくなる心って、そういう気持ちを持つ機会をもらえた方もしあわせになれる。ありがとう。
そして話は戻りますが。
職業小説家を目指す、目指さないにかかわらず、私の夢は最初に小説家になりたいと思ったときとまったく変わっていなくて。
私がたくさんの楽しい小説を読んで、素直に深く受け取れたそのときの年齢の人たちに、夢と希望がたくさん詰まった、楽しくて、そして素敵な衝動を呼び起こすような、そういうエネルギーを、作品を通して伝えられたらいいなということ。
それはかつて私が受け取ったものだから、私も同じものを、誰かに返すことができたらどんなにしあわせだろうということ。
そーいう思いで、私は今も小説を書いているんだなあと思う。
氷室さんの小説はたくさんたくさん読みました。
ジャパネスクの瑠璃姫が大好きだった。クララ白書を読んで、あんな女子校生活にあこがれた~。
その他にも、たくさんの極上のエンターテイメントを読ませてくれた。
きっとこの年齢で天国へ旅立つということは、この世でするべきことをすべて終えられたということなのでしょう。
ありがとうございました。
たまには日常の話。現代教育事情について。
たまには日常の、真面目な話。
現在の日本で子育てをしていて、垣間見える教育事情について。
私には、今年4歳になる息子がいます。幼稚園も年中ともなると、今までは遠いところにあった、小学校ってのが見えてきます。
で、小学校の現状をいろいろ聞くわけですが、うちの幼稚園があるところがまた、全国で中学受験する率がトップという地域(笑)半分以上が受験。
もう、上の子がいるおかあさんに聞く話、すごいです。
去年一年生だった子が、学年終わる少し前に、クラスで塾に通ってない子って先生に聞かれて、手を挙げたのが5人だって。ひえー。
うちは少しその地域から外れているので、そこまでじゃないとは思うんですが。でもいろいろ調べないと……。
私は、小学校に望むのは、学力を上げることじゃなくて、勉強したくないと当人が言うなら、がんばって勉強させようとかせずにほっといてくれってことなんですが。
勉強するかしないかくらい、本人が自分の責任で選ぶからさ……。
大体、小学一年生で、遊ぶ時間もないくらい宿題が出てるってこと自体おかしいでしょ。
勉強させたければさせればいいよ。でもしたくない人もいるんだよ。
そんなところにまでとばっちりを飛ばすな。
そう思うわけです。
勉強って。私は、学びたい!って意欲が出たらそれを学べばいいと思ってます。
今時そんなの理想論だよ、小さいうちはまだよくわからないんだから、親がある程度のレールを敷いてあげないと、将来は受験があるし……って思う人も多いでしょうが、私にしてみればどうでもいい。それも含めて自分で考えればいいよ。自分で考えられる年齢になる前に、無理にそのレールに乗せなければまともな未来がないんだとしたら、その社会はまともじゃない。
本当に勉強したいって本人が思ったときに、それまで勉強しなかった分は自分で取り戻せると私は思ってます。仮に取り戻せなかったって、その取り戻せないのがたかだか勉強であって欲しい。失って取り戻せなかったものが、自由奔放な子ども時代であってほしくない。
果てしなく勉強していなくて、さんざんな成績でも、自分がやる気になって本気でやればなんとかなるもので。
幸いにも、それは私が経験していることなので、そのことに不安を持たずにいられるのは幸福だと思う。
中学一年生のおわり頃、楽しくてたまらない、やりたいことができちゃって、もう授業なんて完全に丸投げで、ずっと好きなことだけやってた。一年間ノートなんて殆ど取っていなかったはず。授業中はずっと絵と小説書いてたから(笑)あとは妄想タイム。
なので内心も偏差値も、中学二年生の時は、そりゃまあものすごくひどいものだったんですけど。
三年になったとき、すごく行きたい高校ができちゃって。そこから勉強をはじめて私は間に合ったよ。
内申点を一学期で10上げて、偏差値は一学期で15上げました。それで、一年前だったらどう考えてもありえなかった学校にちゃんと合格しました。
だから、それは不可能なことじゃない。
あのときは、受験という目的のためではあったけど、自分で欲した勉強だったので、確かに楽しかった。
まあ、そうは言ってもそこで燃え尽き、高校に入ってからはさっぱり勉強せず、成績悪いと容赦なく留年させる学校でしたものですから、危うく留年しかけましたけど。もともとかなり無理して入ってるから(笑)
高校の通知表、10段階評価だったんだけど、国語と音楽がなかったら、まるっきり5段階評価の通知表でありました。恥ずかしながら。
それでも、自分で選んだ、大変充実した高校生活ではあったので、満足です。
今でも覚えているのが、卒業式の日に、隣のクラスの先生と世間話をしていたんですが、突然先生が、「おまえ高校でやり残したことはないか」って聞くんですよ。だから、私の成績の悪さはまあ知れたところでしたので(かなしいかな)「ああ、勉強……(笑)」って答えてみましたら、「いや、おまえの場合、勉強はいいんだ。そうだな、おまえやり残したことはないな。よし」って言われて。おまえ成績悪かったなーって嫌みでなく、本当にそう言ってもらえてねえ。
なんかそれがね、忘れられないの。
そんなわけでまあ、その、自分でやりたいからやる!という動機は、何よりも必要なものだと思います。
息子が勉強したくない人なら別に勉強しなくていいので、その選択が保証される環境であればいいなあと思う。
でも大体、今あんまりにも勉強の成績が一律の物差しになっちゃってて、これおかしくないか?ほんとに。
と、受験率全国トップ3地域のど真ん中で、小学校の話を聞かされている私は、心底不安に思うのでした。
私は、息子には、本当の意味での学びをしてほしいなと思う。
夫はしたい勉強をした人なんですが、夫から聞く、大学で学んだ専門分野の話がどれほどおもしろかったか。
私は学校の勉強が嫌いだったので、そうやって、勉強を楽しめたというのがとても羨ましかった。
勉学はとても楽しい。本当は。
学ぶことって本当に楽しい。
息子がそのことに気付けるといいな。
少なくとも、押しつけられてしまった受験のための勉強は、その、貴重な楽しみの機会を奪うのではないかと感じてる。
そして全然別の話ですが、私の頭の悪さと学のなさは、小説を書いて発表するという趣味を持ってしまったことで赤裸々に暴露されることになり、それが時折かなしいのでした。トホホ。
そして感想のレスは以下。
現在の日本で子育てをしていて、垣間見える教育事情について。
私には、今年4歳になる息子がいます。幼稚園も年中ともなると、今までは遠いところにあった、小学校ってのが見えてきます。
で、小学校の現状をいろいろ聞くわけですが、うちの幼稚園があるところがまた、全国で中学受験する率がトップという地域(笑)半分以上が受験。
もう、上の子がいるおかあさんに聞く話、すごいです。
去年一年生だった子が、学年終わる少し前に、クラスで塾に通ってない子って先生に聞かれて、手を挙げたのが5人だって。ひえー。
うちは少しその地域から外れているので、そこまでじゃないとは思うんですが。でもいろいろ調べないと……。
私は、小学校に望むのは、学力を上げることじゃなくて、勉強したくないと当人が言うなら、がんばって勉強させようとかせずにほっといてくれってことなんですが。
勉強するかしないかくらい、本人が自分の責任で選ぶからさ……。
大体、小学一年生で、遊ぶ時間もないくらい宿題が出てるってこと自体おかしいでしょ。
勉強させたければさせればいいよ。でもしたくない人もいるんだよ。
そんなところにまでとばっちりを飛ばすな。
そう思うわけです。
勉強って。私は、学びたい!って意欲が出たらそれを学べばいいと思ってます。
今時そんなの理想論だよ、小さいうちはまだよくわからないんだから、親がある程度のレールを敷いてあげないと、将来は受験があるし……って思う人も多いでしょうが、私にしてみればどうでもいい。それも含めて自分で考えればいいよ。自分で考えられる年齢になる前に、無理にそのレールに乗せなければまともな未来がないんだとしたら、その社会はまともじゃない。
本当に勉強したいって本人が思ったときに、それまで勉強しなかった分は自分で取り戻せると私は思ってます。仮に取り戻せなかったって、その取り戻せないのがたかだか勉強であって欲しい。失って取り戻せなかったものが、自由奔放な子ども時代であってほしくない。
果てしなく勉強していなくて、さんざんな成績でも、自分がやる気になって本気でやればなんとかなるもので。
幸いにも、それは私が経験していることなので、そのことに不安を持たずにいられるのは幸福だと思う。
中学一年生のおわり頃、楽しくてたまらない、やりたいことができちゃって、もう授業なんて完全に丸投げで、ずっと好きなことだけやってた。一年間ノートなんて殆ど取っていなかったはず。授業中はずっと絵と小説書いてたから(笑)あとは妄想タイム。
なので内心も偏差値も、中学二年生の時は、そりゃまあものすごくひどいものだったんですけど。
三年になったとき、すごく行きたい高校ができちゃって。そこから勉強をはじめて私は間に合ったよ。
内申点を一学期で10上げて、偏差値は一学期で15上げました。それで、一年前だったらどう考えてもありえなかった学校にちゃんと合格しました。
だから、それは不可能なことじゃない。
あのときは、受験という目的のためではあったけど、自分で欲した勉強だったので、確かに楽しかった。
まあ、そうは言ってもそこで燃え尽き、高校に入ってからはさっぱり勉強せず、成績悪いと容赦なく留年させる学校でしたものですから、危うく留年しかけましたけど。もともとかなり無理して入ってるから(笑)
高校の通知表、10段階評価だったんだけど、国語と音楽がなかったら、まるっきり5段階評価の通知表でありました。恥ずかしながら。
それでも、自分で選んだ、大変充実した高校生活ではあったので、満足です。
今でも覚えているのが、卒業式の日に、隣のクラスの先生と世間話をしていたんですが、突然先生が、「おまえ高校でやり残したことはないか」って聞くんですよ。だから、私の成績の悪さはまあ知れたところでしたので(かなしいかな)「ああ、勉強……(笑)」って答えてみましたら、「いや、おまえの場合、勉強はいいんだ。そうだな、おまえやり残したことはないな。よし」って言われて。おまえ成績悪かったなーって嫌みでなく、本当にそう言ってもらえてねえ。
なんかそれがね、忘れられないの。
そんなわけでまあ、その、自分でやりたいからやる!という動機は、何よりも必要なものだと思います。
息子が勉強したくない人なら別に勉強しなくていいので、その選択が保証される環境であればいいなあと思う。
でも大体、今あんまりにも勉強の成績が一律の物差しになっちゃってて、これおかしくないか?ほんとに。
と、受験率全国トップ3地域のど真ん中で、小学校の話を聞かされている私は、心底不安に思うのでした。
私は、息子には、本当の意味での学びをしてほしいなと思う。
夫はしたい勉強をした人なんですが、夫から聞く、大学で学んだ専門分野の話がどれほどおもしろかったか。
私は学校の勉強が嫌いだったので、そうやって、勉強を楽しめたというのがとても羨ましかった。
勉学はとても楽しい。本当は。
学ぶことって本当に楽しい。
息子がそのことに気付けるといいな。
少なくとも、押しつけられてしまった受験のための勉強は、その、貴重な楽しみの機会を奪うのではないかと感じてる。
そして全然別の話ですが、私の頭の悪さと学のなさは、小説を書いて発表するという趣味を持ってしまったことで赤裸々に暴露されることになり、それが時折かなしいのでした。トホホ。
そして感想のレスは以下。
結婚記念日なんです
今日は私達夫婦の結婚記念日なんです。
結婚六年目です。
私は夫と出会う前は、まだあと10年くらい結婚するつもりがなく(笑)大体が、ひとりに決めてそのあともう誰とも恋愛をしないという状態が、まったく頭の中に描けなかったんですが。
ある日ふとした偶然が重なり夫に出会いまして、三度目に会ったときに、ドライブ中に横でぐーぐー寝ている夫を眺め、私、このひとと結婚するなー、と唐突に思いました。
それから一年後、ほんとうに結婚しました。結婚って、そういうものなんだなあと思いました。
そんんわけで、結婚六年+付き合い期間一年で、もう七年同じ人と一緒にいるわけですが、私は新婚時期よりも、今の方が楽しいなあ、もちろん新婚期間も、初々しくて楽しかったですが。
それでもこの結婚生活に、六年分の手間暇時間をかけてきた今のほうが、楽しくて、しあわせです。
それにしても新婚旅行から、もう六年も経つのかと思うと、感慨深い……。新婚旅行も南国でした。バリ。島内を転々と、14日間も遊びほうけた。今はもうできないなぁ。金銭的にも、時間的にも。
そんなわけで、今日はおいしいディナーを食べに行きたいです。
結婚六年目です。
私は夫と出会う前は、まだあと10年くらい結婚するつもりがなく(笑)大体が、ひとりに決めてそのあともう誰とも恋愛をしないという状態が、まったく頭の中に描けなかったんですが。
ある日ふとした偶然が重なり夫に出会いまして、三度目に会ったときに、ドライブ中に横でぐーぐー寝ている夫を眺め、私、このひとと結婚するなー、と唐突に思いました。
それから一年後、ほんとうに結婚しました。結婚って、そういうものなんだなあと思いました。
そんんわけで、結婚六年+付き合い期間一年で、もう七年同じ人と一緒にいるわけですが、私は新婚時期よりも、今の方が楽しいなあ、もちろん新婚期間も、初々しくて楽しかったですが。
それでもこの結婚生活に、六年分の手間暇時間をかけてきた今のほうが、楽しくて、しあわせです。
それにしても新婚旅行から、もう六年も経つのかと思うと、感慨深い……。新婚旅行も南国でした。バリ。島内を転々と、14日間も遊びほうけた。今はもうできないなぁ。金銭的にも、時間的にも。
そんなわけで、今日はおいしいディナーを食べに行きたいです。